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食器の隣、

セントエルモの火

 

2025.09.07 sun - 09.28 sun

 

Reception

09.07 17:00 - 20:00​
 

​中村葵 / 島田明洋

1

 子供の頃、家の近くには果樹園が多くて、いたるところに鳥よけのCDが吊るされていた。風が吹くたびキラキラと瞬くそれは、地面に強く光を落として、目を細めながら畑の道を歩いていたのを覚えている。ある日そこに、逆さに吊るされたカラスを見つけた。光の中、黒い体はCDと同じように風に揺れていて、私は、それからその道を通らなくなった。

 代わりに迂回で通る住宅街の庭には、よくフクロウの置物があった。デフォルメされたりリアルだったり、姿は様々だが、みなビー玉や反射板が埋め込まれた目で、いつもこちらをツルツルと見ていた。舗装された道は猫よけのペットボトルが並び、果樹園同様、いつもきらめく光に包まれていた。

 そういえばこの前、ホームセンターの園芸コーナーであのカラスと再会した。羽毛まで生やされた彼らのパッケージには「鳥よけ」と書いてあった。思い出したというか、ようやく「あれはこういうものだったのか」と納得するような気持ちが沸いた。と、同時に思った。「あれ」は私にとって本当に「こういうもの」だったのだろうか。

 ものは、ある役割を与えられ、見出され、そこに置かれ、あるいは取り除かれる。けれど、役割は時間とともにずれたり、重なったり、剥がれたりする。

 あの時、私は風に揺れる黒い体から何の意味を受け取り、そこにはどん な機能が埋め込まれていて、そしてその効力は、本当に鳥だけに限定され る、と言い切れるものだったのだろうか。信じるように作られ、信じた、 あの迂回も意味をなさなくなるのだろうか。タネが明かされてしまえば。

 鳥を追い払うためのCDは、光をちらつかせる装置となっても、その光の断片は、本来なら音として放たれる情報の、別の姿でもある。庭先のフクロウは、「不苦労」という当て字で縁起が良いとされるが、平和の象徴とされる鳩(もっとも、市街地では害鳥とされる)を追い払う。猫よけのペットボトルに本当は効果はなく、時折水の入ったプラスチックがレンズとなり、日光で近くのゴミを燃やすという。  役割は外れ、意図と意味は混ざり、分離し、ものは別のものになる。なら、我々の記憶や、生も、またそうなのだろうか。そうやって役割がずれ続けたものたちは、ある意味では失敗であり、ある意味では延命であり、同時に、それらは常に「意味」というものの、別の座標にもなる。

2

会話が途絶え、手持ち無沙汰になった。

私はふと机に手をおく。

時間をかけてゆっくりと、まだ充分に続くであろう沈黙を少しでも埋めるように手をおいた。無意識だったからか、自分の手でありながら、そのスピードは小動物をそっと運んでいる場面を想像させた。

 

いま、私と彼の間にあるのはの居心地の悪さではなく、誰との間にも訪れる沈黙の耐え難さみたいだ。彼もどことなく気にしているようで、顔の周りに手をやっていた。いつも話し始める前に頬を数回指で掻く。まだ話は続く気配があった。 窓の外では、百日紅がその赤裸々な肌に夏の光をまとっていた。100日間の何日目だろうか。

 

 

「ふと机に手をおく。」

 

もし彼の話が私の気を悪くしたのなら、その仕草は離席のはじまりになっていたかもしれない。まず右手を机に置く。(私はなぜかいつも右手から動き始める)。そして体重をその右手にかけ、釘抜きのように肘の角度を上げていく。腕にかかる負荷が減り、上半身の重みは脚へと矛先を変える。別に彼に何か声をかけるわけでもなく、彼もまた、私をその空間のごく自然な流れとして眺める。

 

もし机に置いた手、指がリズムを打ったのなら、彼は嫌な顔をしたかもしれない。

 

机に手を置くことで、その行為がこれまでの句読点となり、会話が始まったかもしれない。

 

机に手をおく仕草が店員を気づかせ、―その目の片隅で私の動きに気付き―空のコップに水を注いでくれるかもしれない。(それもまた沈黙を埋めてくれるだろう。)

 

すべては拍なのだ。別に気を悪くしたわけでもなく、コップに手を伸ばそうとしたわけでもなく、無意味に動かした右手は世界を動かすことができる。拍は運よく拍子になることだってある。

 

私はあまりの沈黙に、それらが起きることを望んでいたのかもしれない。 でもそれは手をおいてから思ったことだから違うかもしれない。

 

彼が沈黙の中で釘を抜いた。

 

私は彼をその空間のごく自然な流れとして、眺めてみた。

3

 小学生の頃、同級生たちと帰るのをやめた時があった。2年生くらいの事だったと思う。徒歩で帰ると1時間くらいかかる田舎道で、「毎日子供同士で話すことってそんなに無いな」 と思ったことがきっかけだった。ドッジボールや鬼ごっこのように“やること”があれば別だ ったが、「歩きながら適度に話す」という雑談のコミュニケーションは、低学年の自分には レベルが高すぎた。ゲーム性を持ち込んでみたこともあったが (目をつぶって誘導されて歩 く、石を蹴って側溝に落ちないようにつなぐ、野草図鑑の草を食べる、など)、1時間という 時間はあまりに長く、途方もなかった。オチのない、偶発的な話をし、いつしかみんなで同 じ話を、何度も何度も繰り返していた。そしてそれがある時から、妙な重さとして、ランド セルと一緒に肩にのしかかっていた。

 ある日突然、今日からやめよう、と思った。とはいえ、さすがに「一緒に帰らない」と言うだけでは、角が立つのはわかっていた。近づく時は些細なきっかけでも、人と離れる時は、 何か大きい理由が必要だと感じていた。放課後、昇降口で靴を履いて固まっていると、みん なが声をかけてくれた。晴れた日だった。

 「風と帰るから、今日から一緒に帰れない」

 と言った時の、みんなの顔は覚えてる。「はぁ?」だった。自分でもどうかと思う。どうかと思うけど、おそらくあれが、その時の自分にできる最大限の伝え方だった。皆で話しているとき、風が強くなるのが好きだった。話すどころではなくなるから。

 もちろん伝わらないので、そこからは質問攻めになったが、私もやけくそだった。恥ずかしさもあった。「嘘をついてる」と言われ、とっさに「風!」と言った時だった。うなりをあげて突風が吹き、子供たちを転がしていった。私は昇降口に守られて、微動だにせず立っていた。みんなと目があった。ワッと蜘蛛の子を散らすように友は去り、私は風使いとして、 念願の1人帰宅を手に入れた。

 そんなことがあったが、私は自身の「風の力」を全く信じていなかった。あの時1番びびっていたのは、私だったとさえ思う。ただ、一度それを面と向かって否定してしまえば、 「風と帰る帰路」ごと嘘になってしまう気がした。そうしたら、風の中で話さなくてよくな るあの感覚まで、永遠に伝えられなくなってしまうのではないか。コントロールしたいわけ じゃなかった。あの時、風が吹いて何かが本当になってしまったから、それ以外が分からな くなった。

 最近、人との会話のなかでふと沈黙が訪れると、あの日の突風を思い出す。 沈黙は自分と相手がむき出しになるような感じがして苦手だった。有ることに照れては、それを打ち消すようにしゃべり続けた。 結局のところ、言葉が尽きてみんなと離れたあの帰り道から、今もなんら変わっていないのかもしれない。 それでも、もうここに私が呼ぶ風は吹かない。だから、本当にも嘘にもならない、そんな居た堪れなさに、少しだけ耐えてみようと思う。とりあえずそこにいて、やることもないまま、来るともわからない言葉を待っている。

4

ここであっているのだろうか。

受付の彼女は「この廊下の突き当りを左に曲がって、最初に出てくるエレベーターに乗り、3階の受付でまた案内を受けて下さい」と言われた。特に受付の彼女が念押ししていたのは2つあるエレベーターの左に乗ること、右に乗ってしまうと3階には止まらず、その上にいる入院している方たちに直接面会する場合に使うとのことだった。

与えられた指示は3つ、曲がった角はたった1つだ。次に行うのは最後の3階の受付での指示。

しかし出してくれる相手がいない。受付に人がいないのではなく、そもそもエレベーターを降りたら、そこは内視鏡室の前だった。私の困惑に関わりたくないのか、エレベーターはそそくさと行ってしまった。

 

わたしは疣を焼きに来たのだ。右足の指先にできたこの異物を。 生まれてこの方、体にできた外傷やできものは全く気にしなか った。だが、足の指の中で1番長い人差し指、それも先端にで きた疣は靴と擦れてたまったものじゃない。絆創膏を2枚重ね たって夕にはいつもの痛みがやってくる。

 

まだ昼過ぎだったため、痛みはそこまで現れていなかった。サンダルならそもそも擦れないじゃないか?などと考えながら歩いているとフロアマップを見つけた。 確かにここは指示通り3階だった。ただ採血やら、レントゲン、もちろん内視鏡室などの検査室ばかりで、受付というものは存在しなかった。

 

彼女は別の病院から来たのかもしれない。その病院ではきっと3階で疣が焼けたのだ。

でも今日焼いたのは結局2階だった。面会用の右のエレベーターで行けたし、降りた先の受付で最後の指示がきちんとあった。 彼女は3階で焼けたと思っているのだろうか。3階で焼けた疣はどこにあるのだろうか。

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次に焼きに来た時、受付はまた彼女だった。

「それでは、本日は次のような流れになります。前回同様エレベーターをつかって3階にあがっていただきます。」 

 

後、4回。私は2階で疣を焼き、彼女は3階の疣を思う。

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中村葵 Aoi Nakamura

 

東京を拠点に、映像、インスタレーションの制作を行う。映像や文字、声の持つ性質を逆手にとり、 身体や意味を再編集する作品を発表している。主 な個展に、「延寿土竜野良寿限無(Bohemian’s Guild CAGE)」「夜猫ら並ぶ行灯油なら捏ねるよ (Art Center Ongoing)」

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島田明洋 Akihiro Shimada

 

埼玉を拠点に絵画の制作を行う。主な展覧会に、「オアシスの予感(gFAL)」 「2022年度 武藏野美術大学卒業•修了制作優秀作 品展(武藏野美術大学美術館)」「風が透る(YOD gallery)」「ピイプル01波をみる(長亭gallery)」 「personal prologue(SUTUDIO BACKPACK)」

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【運動のための準備運動】2人の作家は数ヶ月間、お互いの様子を見聞きせずに、キュレーターを通して展覧会やもう1人の作家と向き合いました。それは、あらゆる意味で「身体を扱う」 という、2人の作品に共通した性質を、展覧会準備の段階から組み込んでいくための手段でした。その間、キュレーターは考える手掛かりとして、また作品制作の一部として、そして仮の 鑑賞者、或いは外付けの身体として「扱われていた」と言えるかもしれません。ここにある文書は、1・3が中村、2・4が島田によるものす。2人は互いの様子を知らないまま、展覧会に 寄せて1本目の文章(1・2)を書き上げ、それを交換することで初めて相手の考えを把握し始めました。2本目(3・4)はその後に書かれたものです。作家、キュレーター、そしてこれを 読む誰もが文章を辿りながら展覧会へ歩みを進めます。読み、見えない誰かの記憶に触れること、今そこにあるもの、そしてその先にあるものへ想いを馳せること、全ては私たちの頭の中 や遥か遠くのどこか、もしかすると鑑賞体験の中で、必ず何かとの関係を顕にし結びついてゆくのです。

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