
OUT OF
THE
BLUE
2025.04.27 sun - 05.25 sun
田中良太
Ryota Tanaka

「交わる交わらない、交わる交わらない、交わる交わらない、交わる交わらない、交わる交わらない、交わる交わらない]田中良太 2024 Acrylic on canvas 112.0×178.0cm
牛たちは毎朝6時ごろに牧場に放たれ、きっかり1時間後に牛舎に戻る。
私が眠りから覚めその激しい雨音に気付いたとき、窓の外の牛たちは帰る素振りを見せていた。時刻は7時数分前だろう。彼らに天気は関係なく、いつも顔色変えず草原に現れ、草を食べ、呻き、ほぼ黒目の瞳で不意に世界を眺め、帰っていく。それは時計の中のいくつかの歯車が何の用途として機能しているのか分からずとも、精巧にかみ合い1秒を生み出すように毎日行われる。今朝もその精巧さに狂いはなかった。
ぼんやりと牛たちを眺めているうちに、わたしを目覚めさせた激しい雨は次第に勢いを増していた(昨晩聞いたラジオの天気予報によると1時間に30~50mmの雨が激しい雨のようだ)。嵐の雨には明確な段階がある。50~80mmになると「非常に激しい雨」になるとのことで、この雨もまた今にでも非常に激しい雨へ移りかねなかった。
それは突然のことだった。突然のように感じてしまったのかもしれない。牛たちは消えてしまった。もし帰っていくのなら徐々に姿を小さくしていくはずの牛たちは、 まるでろうそくの火が消えるように、すっとその姿を一斉に消してしまった。
見えるのは今朝よりも白濁した草原だけだった。
驚く間もなく6時半にセットした目覚ましの音が鳴った。
起きた出来事について考えてみる。牛は消えておらず、雨脚の強さによって見えなくなった、あるいはその雨に驚き急いで帰ったのだろう。雨は牛の胴体を這ってゆき滴る。周囲の地面はせわしなく水を含み、その大地の緩ませていくだけだ。出来事は、理にかなった形で理解しようと私が整理することができるのだ。
しかし、もし本当にそのように -牛が消えたと- 感じられたのなら、体がそうとしか捉えることができなかったのなら、まぎれもない真実になるだろう。比喩の力を失ったメタファーは何よりも正確なのだ。牛たちは、ろうそくの火が消えるように、すっとその姿を一斉に消してしまったのだ。風はささやくし、横で毛布にくるまり眠る彼女の頬はりんごの赤なのだ。
田中良太の絵によって引き起こされる不穏な印象は、食事を終えた後に訪れる満腹感のように結果的なものだ。だがそれよりも、そう捉える以前の姿をどう語るのか、その語
らせ方を求めている。
田中の絵に現れるモチーフは常にそれらでしかない。青い花瓶、踏み出す左足、線の木々。絵の中で何かを暗示しているわけではなく、ただ静かに決められた位置にモチー
フが存在する。だからこそ、時には意図したようにそれぞれの極めて個人的な世界と結びつき、時には無関係さを象徴してしまうのだ。私は結びつかなくても、りんごの頬の彼
女と深く繋がっているかもしれない。私は誰かと同じように見えてはいないその相違こそ、個々人の「の、ように見える」と語ることこそ、田中の絵が私にさせることなのだ。声を響かせるための空気がそこにはあるのだ。
さあ、語ろう。牛は姿を消すことができるし、そもそもいなかったのかもしれない。雨はまったく関係していないのかもしれない。踏み出す左足は後退りなのかもしれない。それらはどこかで結びついている。
田中の絵は生活の中で藪から棒に再び現れる。
Statement 島田明洋 / painter(STUDIO BACKPACK)

「交わる交わらない、交わる交わらない、交わる交わらない、交わる交わらない、交わる交わらない、交わる交わらない]田中良太 2024 Acrylic on canvas 112.0×178.0cm

「Q.E.D. 」2025 Acrylic on canvas 18.0×14.0cm

「Q.E.D. 」2025 Acrylic on canvas 33.3×24.2cm
